里山のツキノワグマ 19 総括 〜市街地に押し出される(立場の弱い)クマ〜

 里山のツキノワグマシリーズも随分長く続けてきました。これまでの観察結果をもとに、現時点での見解を総括してみたいと思います。ただし、これはある地域における限られた観察結果がベースであり、またこの見解はあくまで「仮説の提示」として行います。御了承の程お願いいたします。

 さて、新潟県魚沼市における「市街地へのツキノワグマの大量出没」からもうすぐ1年になろうとしています。この間、多くの方から「どうして魚沼市では市街地にクマがたくさん出没したのですか?」という問いを当施設に数多くいただきました。当施設は越後三山只見国定公園内の浅草岳の麓(ふもと)にあり、もちろんツキノワグマの生息地に位置しているのですが、「開園以来ツキノワグマによる人身事故は一件も発生していません」。来訪者の皆様の御協力の賜物ですし、日々管理業務にあたる運営スタッフの努力によるものでもあります。感謝するばかりです。

 そうした中で、魚沼市の中心市街地で昨年の令和元年10月に「ツキノワグマによる重大な人身事故」が発生しました。被害をもたらしたクマは体長約130cmの成獣(オス)とされています。前日から市街地で確認されていたクマは二日間に渡り小学校の近くや住宅地、自動車整備工場などを移動し続け、最後は倉庫内で射殺されました。この間6名の方が負傷されています。こうした悲劇を繰り返さないためにも、自然観察の手法を用いて「身近な里山に生息しているツキノワグマの生態」を調査することになったのです

 

<引用:第二期新潟県ツキノワグマ管理計画より>

 

 新潟県による「第二期新潟県ツキノワグマ管理計画」では、ツキノワグマの出没件数とブナの豊凶(※1)との相関が分かりやすく紹介されています。ここでは「ブナが凶作の年はツキノワグマの出没件数も大きく増加する」ことが示されています。この基本的な仕組みが、「市街地のすぐ近くの里山にツキノワグマが多数生息する」現在の新潟県魚沼地方で作用するとどうなるか・・・が今回のメインテーマとなります

 

 新潟県魚沼地方では、江戸時代から集落の周りの森林は「ボイ山」と呼んで、「約20年未満のサイクルで伐採する薪炭林(しんたんりん)」でした。そして奥山(集落から遠く、薪炭利用しなかった標高1,000m以上のブナ天然林)には江戸時代からあまり変わらない様子でツキノワグマがひっそりと生息していました。

 それが、昭和30年代に薪や炭にかわって「プロパンガスや灯油などの化石燃料」が使用されるようになり、「ボイ山(薪炭林・里山)」はほとんど伐採されなくなりました。それから60年以上が経過し、かつての「ボイ山(薪炭林・里山)」は、随分成長した「森(もり)」になりつつあります。そして、この成長した森は「雪消えが早く、日当たりも良いため」エサの種類も多く、(おそらく昭和60年代頃から)徐々にツキノワグマが生息するようになりました

 

<若くて樹木の種類も多い旧薪炭林の森は、オニグルミなどのエサ資源に恵まれたツキノワグマの新天地です>

 

 奥山と里山の両方にツキノワグマが生息するようになり、「新潟県全体としてのツキノワグマの生息数」は穏やかに増加を続け、平成28年度の調査では県全体で1574頭(推計値)となっています。問題はここからですが、普段の年であれば「奥山にも里山にも全部のクマを養える”それなりの量のツキノワグマのエサ資源”がある」のですが、数年に1回「奥山のブナの実やドングリがほとんど実らない年」がやってきます。こうなると、奥山に生息しているツキノワグマ(多くの場合は強いオスのクマ)はエサの種類の多い下界の里山(大きくて美味しいオニグルミなどが豊富にあるツキノワグマの新天地※2)を目指します。すると、里山の森はツキノワグマの生息密度がどんどん高くなり、クマの社会の中で立場が弱い「若いクマ」や「親子連れのクマ」が里山から押し出されるようになり、最後は市街地にまで押し出されてしまいます

 また具合の悪いことに、「若いクマ」は好奇心が強くエサを求めて市街地の中まで入り込みやすく、また子連れの母クマは防衛・逃避本能から市街地の近くで「子グマを守ろうと」人間を襲ってしまう場合もあるのではないでしょうか。

 

 また別の表現を使えば「人間が奥山を荒らしたからツキノワグマが出没する」のではなく、「人間が里山をクマのエサ場(生息地)に変えてしまったことが、ツキノワグマが市街地へ出没することの背景にある」とも言えます

 これが現段階の調査結果から浮かんでくる、新潟県魚沼地域における「クマの市街地出没のストーリー(市街地に押し出される”立場の弱い”クマ)」になります。

 

※1 ブナの豊凶作用=masting=マスティング、ブナ自身による結実量の調整効果。マスティングとは、種子を食べる野ネズミなどの大量発生(繁殖)を防ぎつつ、種子の散布効果を最大限発揮するための自然の豊凶サイクル。豊作年のサイクルを野ネズミの寿命より長くすることが有効。

※2 林道や農道の目立つ場所に「立派なクルミの殻入りのフンを残すクマ」は多くの場合「(硬いクルミを噛み砕くほど)顎のちからの強い大きな成獣」であり、またその立派なフンには自身のナワバリと強さを主張する意味もありそうです。