ニホンリスの貯食行動と贈与の経済学

 今日(R01.09.25)の新潟県魚沼地方は山霧が流れる稜線から朝日が昇る穏やかな日となり、秋晴れが期待出来そうです。里山の定点観察地点ではソバの花が花盛りです。

 さて、定点観察地点に向かう道路脇には沢山の「オニグルミの木」があり、秋のこの時期にはニホンリス(ホンドリス)が忙しそうにクルミの実を集めています。リスは集めたクルミの実を一旦地中に埋め、あとで掘り返して食べる「貯食行動」を行います。リスがどのくらい「クルミの実を埋めた場所を記憶しているか」、研究者により見解は分かれるかも知れませんが、「(忘れたり諦めたりして)多分全部は掘り返していない」という感じでしょうか。これが人間社会が用いている現金だったとしたら、随分もったいない話です。

 そもそも生物全体を見渡した時、人間社会が用いている「お金」に相当するものはあるのでしょうか?例えばカワセミは「オスがメスに求愛するときに捕まえた魚を差し出します」。この「差し出された魚」は「お金なのでしょうか」?前出のニホンリスの場合でも、貯食対象となるオニグルミの実は「お金」なのでしょうか?これらの場合、やりとりする対象は「食料」であり、「象徴性を高めた抽象概念としての富=お金」ではないと考えます。そしてツバメの子育てを観察していると実感しますが、「ツバメのヒナの黄色い大きな口を見ると」「親ツバメは無性にエサをあげたくなる」ようです。また肉食動物のファミリーでは、親が捕まえた獲物を子どもにも分け与えます。動物行動学の視点から見れば、「(エサなどを)贈与することに意義がある」ようにも思えます。

 私たち人間は「象徴性を高めた抽象概念としての富=お金の獲得」に「至上の価値」を置きがちですが、動物の世界では「贈与の経済学」が働いているようです。それでは、リスはこの「贈与の経済学」から逸脱しているのでしょうか。リスの個体レベルで考えると「クルミ=富」を独占しているように思えますが、「オニグルミとニホンリス」という関係性の中で捉え直すと、「オニグルミからニホンリスへの贈与(クルミの実)」でもあり、またニホンリスは「貯食行動を通じて遠くまでクルミの実を運び」、「オニグルミの分布拡大に貢献する」という共生関係でもあるように思います。

 

リスの貯食行動に関する以前の記事はこちらです。