里山のツキノワグマ 42 〜クマのナワバリの面積に関する考察 生息密度と生存戦略〜

 所用により明日(2020.10.19)の早朝定点観察は実施しないため、今回は「里山のツキノワグマ」のナワバリに関する理論考察を行います。動物行動学の分野では「個体が実効的に占有するエリア」のことをナワバリ(テリトリー)と表現します。人間とは異なり、動物の世界では「自分が占有している場所について」、「住所の表示」も「GPSによる座標の明示」もありません。土地の占有や賃貸借に関する契約書もありません。このため、動物の世界では「ナワバリの保持については」仁義も法律のない「無法状態」です。とは言え、個体どうし、あるいは種を超えた相互関係の中で「自然発生的にナワバリが形成されます」

 

 生物のナワバリについて身近な例で一番分かりやすいのが「淡水魚の鮎(アユ)」です。日本の夏を代表する淡水魚である鮎(アユ)は約1m四方のナワバリを形成します。アユのナワバリはアユのエサ資源である珪藻(けいそう、川底の石に付着して成長する藻類)を独占的に採食するために形成されます。一般的には「流れが急でふんだんに日光が降り注ぐ大きめの石がある場所」が「アユのナワバリの一等地」です。この一等地を占有できるのは、その河川のアユの中で最も大きく強いアユです。そして強い(優位にある)アユは「ナワバリの維持(他の個体への攻撃や排除行為)に必要な労力」と「その労力によって得られるエサ資源の価値」とのバランスの中で「ナワバリを維持するか」、あるいは「ナワバリを放棄するか」の選択を行いますまた劣位にあるアユ(小さくて弱いアユ)は「むしろナワバリの形成を放棄して弱い個体同士で群れを形成する」ことで「エサ資源を共同利用する戦略を採用している」と考えられます以前にもブログで御紹介しましたが、淡水魚のアユについて言えば「アユのナワバリはエサ資源の分配に関する優劣によって選択・形成される」と表現できます。

 

 では「里山のツキノワグマ」のナワバリについてはどう考えればよいのでしょうか。ツキノワグマのエサ資源は季節によって大きく構成が変化します。春先はブナの新芽やタムシバの花、あるいは雪崩によって斃死したカモシカなどを食害することもあり、夏には湿原のネマガリタケのタケノコや沢筋のシシウド、秋にはブナやミズナラの堅果や人里近くの柿の実や栗の実などがエサ資源となります。つまり、ツキノワグマのエサ資源は季節毎に様々な場所に存在するために「エサ資源をめぐる排他的な占有エリアは季節毎に異なることとなります」。この状態について、ある人は「ツキノワグマは季節毎に、日々変化する一定のナワバリ(エサ資源を確保するための排他的エリア)を有する」と捉えますし、またある人は「特定の場所を継続して占有してはいないのだから、ツキノワグマはナワバリを有しない」と捉える場合もあります。

 

 「新潟県の森林面積(857,000ha)」を「新潟県のツキノワグマの生息数(1,574頭、H28推計値)」で割ると、非常に大雑把ですが「新潟県におけるツキノワグマの生息密度」が算出できます。佐渡や粟島にはツキノワグマは生息していませんが、上記の数値によれば5.445平方km/頭となります。つまり計算上の面積としては「新潟県ではツキノワグマ1頭あたり5.445平方kmのナワバリを有している」こととなります。

 翻って当方が定点観察をしている「里山エリア」について言えば、調査区の面積は約5.4平方kmですが、調査の途中経過としてこのエリアに4頭以上のツキノワグマが生息していると判断しています。この場合のナワバリの面積は「1頭あたり1.35平方kmとなります」。冬眠に向けた荒食いの季節という背景もありますが、「この里山エリアはツキノワグマの生息密度が高い」と言えるのかも知れません。過去の調査によれば、1年を通じたオスのツキノワグマの行動圏の面積は30〜50平方kmとされます。つまり、多くの場合「ツキノワグマの行動圏は高密度で重複している」と思われますこのため、「劣位のツキノワグマは常に優位のツキノワグマからの排除行為(攻撃を含む)の圧力下にある」と考えられますしかもツキノワグマは群れ(共同戦線)を形成しないため、「個体数増加モードの中で劣位のツキノワグマが採用し得る生存戦略」は「単独で、他のクマがいないフロンティア(つまり里山や人里)を目指すこと」しかありません。一見非情で残酷なようですが、種の存続に関するリスクを個体単位にまで広く分散させることが「共倒れを防ぐ、生物種としてのツキノワグマの生存戦略」です

 今年は特に各地でツキノワグマの人里や市街地への出没が頻発していますが、ツキノワグマの個体数と生息密度、あるいはツキノワグマの社会構造に注目すると「個体数増加モードの中では、(劣位の)ツキノワグマの(人里への)大量出没はある意味で当然の帰結」とも言えるのかも知れません。