里山のツキノワグマ 76 〜里山と奥山との結節点 藤平山のブナ林が刻むクマの行動〜

 昨日(2021.02.13)は移動性高気圧に覆われた快晴の土曜日ということで、休日を利用して守門山系の藤平山(ふじびろやま)方面で積雪期調査(※)に出かけました。

 

奥山エリアでの積雪期調査には生態学や動物行動学の知識に加えて、冬の雪山で行動する野外活動能力(山スキー技術など)が不可欠です。安全管理の点からもネット上の言説を鵜呑みにせず、観察初心者の方は大学の専門家の方などによる安全講習を必ず受講して下さい

<左上:出発地点は芋鞘神社、入山する際はここで必ず安全祈願。 右上:越後の雪上調査にはテレマークスキーが最適です> 

<左下:藤平山は表層雪崩の危険地帯であり雪崩の知識が不可欠。 右下:芋鞘集落の上手で新しいイノシシの足跡あり

 

<左上:藤平山の急斜面に広がるブナの二次林 右上:スキーアイゼンで、凍った雪面を登ります> 

<左下:ブナの豊作年にクマが付けた爪跡 右下:このクマの爪痕は10年以上経過していそうです>

 

<左上:このクマの爪痕は20年以上経過していそうです 右上:真冬のキノコも良い被写体です> 

<左下:標高1,000mを超えると風衝地帯のブナは矮小化 右下:藤平山の各ピークの頂上は広い雪原になります>

 

 さて、守門山系の藤平山(1144m)とその手前のピーク(1027m)に至ると、新潟県魚沼地方の自然環境の特徴が良く分かります。特に冬の季節風とこれによる豪雪環境に特色があり、概ね標高1,000m以上の山地の頂上付近はブナやミズナラ、ダケカンバなどの樹木が「矮小化(わいしょうか 風雪などの影響により大きくなれない様子)」し、冬季には大量の積雪に埋没することで「真っ白な積雪地形」を形成します。登山をする方などは「守門岳の雪の砂漠」などと表現しますが、こうした青空に映える真っ白な山頂部は「神々の領域」と感じることもあります。

 これほど厳しい自然環境にあって、ツキノワグマは冬の間どこで冬眠(冬篭り)しているのでしょうか。当然、真っ白な雪原ではなく、風雪が穏やかな「沢地形」「風裏の斜面」などにある樹洞や岩穴などを選択していると思われます。

 ネット上では「クマがエサ不足なのであれば、木の実をたくさんつける樹木を奥山に植えればいい」「人間が奥山をめちゃくちゃに破壊したのだから、奥山を人間が再生すればいい」という言説がありますが、実際に守門山系の奥山エリアで調査すると、こうした言説が当地では非現実的であることが分かります。特に豪雪地帯である新潟県魚沼地域について言えば、標高1,000m以上の奥山は「樹木の生育環境として厳しい条件下にあり」、またその一方で「国立公園や国定公園として既に自然保護の対象であり」「広大なブナの天然林(自然林)を有し」「クマの生息環境がしっかりと守られています」

 こうした山々に仮に「美味しい実をつける柿の木や梨の木」を一生懸命植えても、豪雪環境に耐えられずに枯死してしまうでしょう。また、ブナやミズナラ、コナラを植樹しても、結局「マスティング=散布効率を最大化する木の実の豊凶サイクル」により、各樹種ごとに豊凶のタイミングが同調しますから、当地においては「山のドングリの豊凶サイクルとクマの出没」への問題解決にはあまり寄与しないと思われます。

 またエサ不足のクマが可哀想」という想いから、新潟県魚沼地方でも林道の終点やスギの植林地などに「庭でもぎ取った柿の実などを置いて行く方」もおられるようですが、新潟県内の里山エリアでニホンイノシシの生息数が激増している現下の状況にあっては、「野生動物へのエサやりは、クマやイノシシによる人身被害の元凶」ともなり兼ねません当方の調査ではイノシシとクマの生息域が一部で重複しています)。国立公園内でのエサやり行為については、これを処罰する方針(法改正)が検討されていますので、十分御注意下さい。

 

<左上:厳しい雪崩斜面と大きな雪庇(せっぴ) 右上:発達した沢地形もクマの生息場所> 

<左下:藤平山の681m付近にもイノシシの足跡が 右下:イノシシのヒヅメの形が明瞭です

 

 地元の人はこの藤平山(ふじびろやま)山域を「クマの巣(ツキノワグマの高密度生息域)」と表現します。実際ツキノワグマの目撃事例も多く、ブナやコナラの木にはクマの爪痕が数多く残されています。

 この藤平山が「ツキノワグマの高密度生息域」となっている背景には、「魚沼丘陵や東山丘陵などの里山エリア(ツキノワグマの新天地)と守門岳の奥山エリアとの結節点であること」が大きな理由であると考えていますそして「守門岳の雪の砂漠」と呼称される「越後の奥山の豪雪環境がツキノワグマの基盤生息域を形成している」と強く感じます。「里山のツキノワグマ」と「奥山のツキノワグマ」が年間を通じてどのような交流があり、また移動経路や生息域をもっているのか、これらに関する知見は十分ではありません。これからもフィールドでの調査を継続してゆきたいと思います。